ロストランドからの手紙【5】 |
第5章 燈台 寒々とした冬の風景が眼下を飛び過ぎていった。 灰色の曇天の下、針葉樹と白い雪原がどこまでも続いていた。 チャイカは滑空しながら防寒マントを引きよせ、ゴーグルの位置を 直した。翼を大きく羽ばたかせて上昇すると、前方遠くに断崖が見 えてきた。その向こう側は鉛色の海がうねる海峡だった。断崖の突 端に小さな光がゆっくりと明滅していた。燈台の明かりだった。 これから届けなければならない手紙のことを思うとチャイカの表情 はこの冬の空のように曇った。彼は光に向かって飛んだ。 ◆ チャイカがはじめて平原を渡った時、季節は春だった。そこかしこ で緑が芽吹きはじめた平原は、まだ残雪が白くまぶしかった。 「寒かったろう。いまお茶を入れたばかりだ。よかったら飲みなさ い」ビショップという名の初老の燈台守は、手に持ったカップをチ ャイカに差しだした。彼は一人でこの北の燈台に住んでいた。 部屋の中は広すぎず狭すぎず、よく片付けられていた。窓辺の机に は鉢植えの花と望遠鏡。書棚、オルゴール。壁には緊急用のコミュ ニケーションクリスタルを収めた箱があった。箱の前面はガラス張 りになっていて≪非常の場合はガラスを割れ≫と書かれていた。 老人は受け取った郵便物を仕分けた。ブリタニアジオグラフィック 誌の最新刊、燈台ギルドの会報、それにユーからの絵葉書が一枚。 「今夜は泊まって明日発つといい。夜の間に返事を書いておくから」 その夜遅く。 ガーゴイルの鋭敏な耳は、建物の中のどこかで断続的な金属音が聞 こえているのを捉えた。途切れ途切れに一定のリズムを刻む、それ はオルゴールを調律している音だった。音階や旋律を微妙に変えな がら、その音は繰り返し夜明けまで聞こえていた。 夏に燈台を訪れた時、平原には色とりどりの草花が咲き誇っていた。 「郵便配達人の業務ではないのだが」チャイカは郵便物を渡した後、 持参した小さなギフトボックスを差し出した。「個人的な贈り物だ。 お茶のお礼だと思ってほしい」 箱の中には歯車(ギア)が入っていた。音楽ギアだった。 「わたしも音楽を聴くのが好きでね」チャイカが言った。「わたし は人間世界には家がないのでオルゴールを持っていない。よければ 立ち寄った時にでも聴かせてほしい」 ビショップがオルゴールにギアをかけると、静かなメロディが部屋 の中に流れはじめた。曲を聴きながらビショップは郵便物を仕分け た。いくつかの刊行物と、ベスパーからの絵葉書が一枚。 夏が去るのは早く、秋の陽光が黄金色に染める平原をチャイカは飛 んだ。テルマーを出てからすでに久しからぬ時間を人間世界で過ご してきたチャイカだが、友人と呼べる人間の数は多くはなかった。 北の燈台守はその一人だった。 「息子さんからかね」 ポットから自分でお茶を注ぎながら、チャイカは聞いた。 「ああ」と答えたビショップの手にあるのはニュジェルムからの絵 葉書だった。「ブリタニアで軍艦に乗っている。アリシア艦長のシ ーウルフ号だよ。もともとトリンシックの湾岸警備隊にいたんだが、 何年か前に王立海軍が出来た時にそちらに編入されてね。武勲を立 てて何回も表彰されている。わたしの自慢だよ」 「燈台を継いでもらいたくはなかったのかね」 「とんでもない。こんな仕事はわたし一人でじゅうぶんだよ。人生 は短い。息子には、華やかで人から称賛される仕事に就いてほしい と思っていた。それが軍艦乗りなら、それでもいいさ」 カップの湯気の向こう側でビショップの眼鏡が揺らめいて見えた。 「こう見えてもわたしはブリテイン育ちなんだよ。子供の頃から音 楽と詩が好きでね。春に草木が芽吹くように、いつか自分の中の才 能が開花する日を夢見ていた。その才能が自分にはあると信じてい た。吟遊詩人(バード)になりたくて、何年も何年も修業をした。 やがてその夢が果たせないとわかった時、今度は楽器職人を目指し た。だがけっきょく、わたしがなれたのは辺境の燈台守だった。人 生とは、かくも思うようにならないものだ」 ビショップは棚に並んだたくさんのギアの中から一つ取りだすとオ ルゴールにかけた。流れはじめたメロディにチャイカは聞き覚えが あった。はじめて燈台を訪れた夜に聴いたメロディだった。 「わたしの人生も、もう冬だ。いまから新しいことが出来るとは思 えない。だから自分の子供には、自分が行けなかった場所まで行っ て欲しいと願うのだよ。人間とはそういうものだ」 ◆ そして冬。 吹雪の平原を飛んで北限の燈台を訪れたチャイカは、マントに付い た雪を払い落とした。部屋の中に風が吹き込んで暖炉の炎が揺れた。 今回、郵便物は一通だけ。その手紙を燈台守に手渡す。 これまで同じ手紙を何通も配達してきたチャイカには、手紙の内容 はわかっていた。差出人はブリタニア王立海軍省。文面は短く、た だ事実のみを告げている。『貴殿御子息、戦死ス』と。 ビショップの手から手紙が落ちた。膝から力が抜け視界が暗転した。 季節はめぐる。冬は去り春が過ぎて、再び夏になった。 「暑かったでしょ」燈台の扉を開けた娘はチャイカに言った。「い ま冷たいものを持ってきますから、飲んでいってい下さいね」 ビショップは部屋の中にいて、男の子にギアの調律を教えていた。 「夏の間だけ一緒に住むことになってね。息子の嫁と、子供だよ」 「つまりあなたにとっては孫というわけだ」 「夏休みの宿題を終わらせちゃいなさい」奥の台所から先ほどの娘 の声が響いた。「遊んでばかりいちゃだめよ。人生は短いのよ」 「ねえ、おじいさん」男の子が真顔でビショップに聞いた。「ジン セイってなに?」 「そうだな」ビショップはオルゴールギアを調律する手を休めずに 言った。「人生っていうのは、長い長い夏休みみたいなものだ。時 間があるときには遊んで過ごし、終わり間際になって何一つ出来て いないことに気付くんだ。それが人生だよ」 その様子を見ながら「ここへ置くよ」と言ってチャイカは運んでき た郵便物を机の上に乗せた。 いつものように刊行物がいくつかと、一通の封書があった。宛名は、 いま愚痴をこぼしながら宿題のギアを仕上げている男の子だった。 リュートをあしらった紋章のついたその手紙は、ブリテイン音楽ギ ルドからの入学許可通知だった。 (この物語はフィクションです。登場するキャラは架空のもので、 物語の設定は実際のUOの設定には必ずしも準拠していません) |
by horibaka
| 2012-02-29 04:00
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